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Archive for the ‘リニア・鉄道館名古屋Nagoya’ Category

モハ1形・1035

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ moha1

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前方から撮影。ホジ6005形と外見は似て赤帯の三等車、木製です。また、明かりとり窓で屋根が2層になっているのも同じです。異なるのは、ホジは蒸気機関が動力であること。モハ1形は三等制御電動車で、パンタグラフがあることです。この二つを同じフロアで比較展示されているのは、とても嬉しいことでした。鉄道館の住人はきっと根っからの鉄道ファンです。

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後方から撮影。「大井工」と書かれています。

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1921年(大正10年)度から1922年(大正11年)度にかけて製造された。1935年廃車。その後三信鉄道デ307 → 鉄道省デ307 → 大井川鉄道モハ301へ売却。すべて廃車。これは復元版だそうです。

ホジ6005形式蒸気動車(1)・ホジ6014

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ hoji6005

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蒸気動車とは車体の片側に蒸気機関車と同様の走行装置を備え、蒸気機関車と客車の機能を一両に集約して一両運転を可能にした車両。明治末期からローカル線で使用され、当時は自働車と呼ばれていたが、のちに汽動車と名称が改められた。ホジ6014は1913年(大正2年)製。「工藤式」と呼ばれる。1943年まで関西本線などで運転された。鉄道記念物となったのは、1962年(昭和37)。(案内板より)これは車両前方から撮影。こんなのが見られるから、はるばるやってきた甲斐があるというものです。

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扉を開けて展示されていれば、ひと目で構造がよくわかります。惜しいことに閉まっているので、窓から撮影。乗っている人たちは危険を感じなかったのでしょうか。私たちが飛行機のジェットエンジンの側で、何も考えず座っているのと同じですね。

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動力は蒸気機関です。この形は日本で唯一ここだけに残っています。

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車体の向きを変えずに折り返すことができるように、車両の両端に運転席があります。ただし、蒸気機関があるのは一方だけです。

ホジ6005形式蒸気動車(2)

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ hoji6005

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三等と書かれた下にある右下の赤いラベルは左から右へ文字を読みます。汽車製造株式会社、大正元年製造、大阪 とあります。周りのローマ字が「 KISHA SEIZO KWAISHA OSAKA JAPAN 1912」と左から書かれているのとちぐはぐです。一等車は白帯、二等車は青帯、三等車は赤い帯で表示されます。蒸気機関の部分はいかつい感じですが、客車は対照的に、設備も仕様もたいへん優雅な雰囲気があります。

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天井には明かり窓が設けられています。今の展望車の様相です。単に窓を二段にしたのではなく、採光用に二重の屋根にしています。

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前方中央が蒸気機関です。幼いころに、「窓から頭や手を出してはいけません」と言われたことを思い出しました。なるほどこんな大きな窓があったら、身を乗り出して見ていたくなります。

ホジ6005形式蒸気動車(3)

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ hoji6005

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つり革も網棚も手すりも、デザインが美しく、アールヌボーの気配です。大正ロマンといわれた豊かな時代を思わせます。

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しかし、こんなに長いつり革につかまっていたのでは、さぞかし振れ幅が大きくて苦労したことでしょう。目の高さの窓とは別の窓が上部に設けられています。展望車のようなデザインです。これが大正2年に国内で製造されたとは、明治以来の技術の進歩に驚くばかりです。

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天井板は縦に張られて白の塗装です。照明には灯油ランプのねじが見えます。

クモハ12形

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/kumoha12

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後部から撮影。鉄道省が製造した最初の鋼鉄電車モハ30形式を改造。どの車両でも運転ができるように車体の両端に運転台がある。

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昭和3年汽車会社東京支店。昭和29年豊川工場。東海旅客鉄道、日本国有鉄道浜松工場昭和38年。と刻印されています。大正元年に製造された「ホジ6014形」では、製造会社名も、「三等」や「機関室」の文字も、右から左へ書かれていました。公的な表記でも、すでに向きが変わっていることがわかります。これは昭和2年(1927)製造です。

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側面から撮影。乗務員用ドアが両脇に、乗客用入口は片側3つあります。車体は鋼鉄製。室内は木製。車体外版の鋼板を溶接するためには、リベットを使用しています。

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若戸大橋の橋脚、2012年撮影。夜間のライトアップ。1952年に完成しました。全面的にリベットで溶接されています。この時のリベット打ちの作業は若戸大橋工事のアーカイブ映像が残されていて、スリルのある職人技に感服しました。

スハ43形客車

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ suha43

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戦後に新設計され、従来車両に比べて著しく居住性が改善された3等客車。とあります。内部に見とれて不覚にも、外観を撮影するのを忘れました。

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従来の客車よりもシート間隔を15ミリ拡大。天井灯は従来方式の一列から二列として車内が明るくなった。このほか窓側座席へのひじ掛けの新設。通路側座席への頭もたれの新設など。製造年1954年新潟鐵工。

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窓のカーテンは、従来の鎧戸式から巻き上げ式に変化。上着かけのフックもあります。狭いスペースに膝を突き合わせると、袖触れ合うも他生の縁というのか、長時間たつうちに、プライバシーがどんどん露見していきました。新幹線になって、所要時間が短縮され、外の景色はあまり見えない。乗客は貴重な時間を、午睡や携帯などで有効活用し、隣人と話すことがすくなくなりました。
昭和10年代に九州から上京する列車には、窓に鎧戸がついていて、岡山付近を通過するときには閉めるようにと指示があったそうです。おそらく軍需工場があったのだろうけど見たことがない、と昔話を聞きました。

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洗面所では水とお湯が出るように書いてあります。実際にお湯が使えたかどうか記憶にありません。盆正月の帰省シーズンには、このあたりも一晩中立つ人で混雑しました。

EF58形式電気機関車・EF58 157

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ EF58

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1946(昭和21)年から172両が制作された旅客用電気機関車。1952年製造の流線型車体を採用。のちに前期形も流線型車体に改良された。特急列車の牽引にも使用され、戦後の花形として活躍。東海道本線の前線電化完成時には、特急つばめ、特急はとを牽引し、その後はブルートレインから荷物列車まで幅広く活躍した。製造年1958年。製造所三菱電機、新三菱重工。茶、青、ライトグリーンなどさまざまな車体色があった。(案内板より)

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九州へも往復したのは「はやぶさ」や「あかつき」。「ブルートレイン」とは言わず、「寝台列車」と呼ばれていた頃です。

左は2008年に長崎駅で撮影。京都間を往復していました。残念なことに、牽引車両のEF58ではありません。最後部からテールマークです。同年3月さよなら運転があり、廃止されました。ご苦労様でした。お世話になりました。

オヤ31型式建築限界測定車

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ oya31

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建築限界測定車は、車体の周囲に接触式のセンサーを搭載し、走行しながら建築物の支障確認ができる構造となっている。新たに線路を敷設した時等に使用した。この車両は1937年スハ形式客車として製造され、1959年(昭和34)に改造されてオヤ31が誕生した。製造は田中車両工場(現近畿車両)(案内板より)
本形式では車両側面から矢羽根を広げ、建築限界からはみ出した建造物に矢羽根が触れて倒れるとケーブルまたは電気信号により伝達表示される仕組みになっている。(wikiより)

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センサーの先端部分は白の縞模様があり、ネジで留められています。この車両は「オイラン客車」とも呼ばれました。花魁が髪を結いあげて長いかんざしを挿した姿ににているところから付けられたものです。改造されたのは全部で7両。国鉄民営化で、北海道、東日本、東海、西日本、九州の各JRへ一台ずつ引き継がれました。1995年以降、除籍解体され、現在は1台が名古屋鉄道館に展示されています。

国鉄バス第一号車

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ JNR bus

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1930(昭和5)年に鉄道省が初めて直営による路線バス輸送を開始した際に使用された車両。岡崎~多治見間等で運転された。当時、国内を走るバスは外国製であったが、国鉄は自動車産業育成のため、国産車を採用した。(案内板より)
ヘッドランプが丸くて予備タイヤを両脇に装着。クラシックカーから、まるでジャン・ギャバンが現れそうです。要らないのか、バックミラーが見当たりません。フェンダーにポールがあるのは、旗を立てるためでしょう。

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1960年ころ、国鉄瀬高駅から山川村(現在は山川町)を通って熊本の山鹿方面へ行く国鉄バスがありました。本数は少なく、列車の到着を待って出発しました。それがボンネットバスだったかは覚えていませんが、悪路に埃を巻き上げ、飛び跳ねるように走った記憶があります。国鉄が民営化された後も、JRバスや産交バスが引き継ぎました。一昨年から部分的に廃止され、自家用車がなければ不便なところになっています。

新幹線とリニア

日曜日, 8月 4th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ MLX01-1 / Sinkansen300X

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超電導リニアMLX01-1。2003年、山梨リニア実験線において、鉄道の最高速度581キロを記録しました。
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超電導リニアMLX01-1。前方から。
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955形式 新幹線試験電車300X。新幹線の最新裁量の高速システムを追及するために開発した試験車両。1996年、電車方式による当時の世界最高速度443キロを記録しました。5489