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Archive for the ‘鉄道展・museum etc.’ Category

マルチプルタイタンパー他保線機械車両

日曜日, 6月 7th, 2015

マルチプルタイタンパーMultiple Tie Tamper

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プラッサー&トイラー(Plasser & Theurer)オーストリアの線路工事用重機メーカー

一般の鉄道車両と同様にレール上を自車の車輪で自走できるが、一般的には車籍を有しない機械扱い。

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鉄道博物館&転車台

日曜日, 6月 7th, 2015

Railway Museum & EF55 形式電気機関車
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Moving on the Turnplate

弁慶号機関車(7100形式)

金曜日, 6月 5th, 2015

Benkei Steam Locomotive( Class 7100)
1880年(明治13)開業の北海道最初の鉄道、幌内鉄道で、初めて使われた蒸気機関車。1884(明治17)年までに胴形式を8両輸入。1958年鉄道記念物に指定される。
・アメリカから最初に輸入された2両の機関車は、「義経」「弁慶」と命名された。
・「カウキャッチャー」「ダイヤモンドスタック」「大型ヘッドライト」「ベル」などアメリカ風の装備。
※「カウキャッチャー」とは、牛などをできるだけ傷つけずに、すくうように受け止めて、左右に跳ね飛ばすための犂またはバンパー状の金属部品である。捕まえるためのものではない。
※「ダイヤモンドスタック」とは、薪も燃料にできる火の粉止めつき煙突。
・「テンダー式」で長距離走行が可能。
・当時最新技術の「空気ブレーキ」を装備。

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wikiより
1889年12月10日、幌内鉄道は北海道炭礦鉄道に払下げられた。北海道炭礦鉄道では、本形に対し煙室の延長やダイヤモンド形煙突のパイプ形への交換、カウキャッチャーの撤去などの改造が行なわれ、原形が損なわれていった。その後、営業列車に使用されることはほとんどなく、主に建設工事や除雪用に使われていたようである。
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現在、展示されているのは、輸入当時の姿に復元されています。
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弁慶号の銘板。
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善光号機関車(国鉄1290形式)

金曜日, 6月 5th, 2015

Zenko Steam Locomotive ( Class 1290)
案内版より
日本鉄道上野~熊谷間の建設工事に使われた機関車で、現在の埼玉県川口市善光寺付近の荒川河川敷で陸揚げされたため命名。
・当時イギリスで使われていたインサイドシリンダー、サドルタンクを採用。
・阪神間越道建設用に2両(1873年)、日本鉄道建設用に1両(1881年)輸入された。
・1959年鉄道記念物に指定される。
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善光号は、インサイドシリンダーが目視できるように、階段で床下へ降りてゆき、機関車の底面から眺められるようになっています。

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インサイトシリンダーの特徴は、台枠の内側に動力を生み出すシリンダーがあることです。通常は側面にあります。頭上に1組のシリンダーと弁装置(バルブギアー)が見えます。この仕組みをインサイドシリンダーと呼び、シリンダーが外側にある方式に比べ振動が少なく、小型かに有利です。その反面、構造が複雑で、点検作業が難しくなる欠点があります。

国鉄キハ04形気動車

木曜日, 6月 4th, 2015

Kiha04 Diesel railcar、East Japan Railway Company
wikiより
本形式は1932年(昭和7年)に鉄道省が設計し、1933年(昭和8年)に竣工したキハ36900形を第一陣とする一連の16 m級機械式気動車シリーズを、太平洋戦争後の機関換装によりディーゼル動車化し、形式称号を変更したものである。

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これほど優美で繊細な電車に出会えたのは幸運でした。廃車後も、キハ保存会のかたがたが保存に尽力されるのもうなづけます。鉄道博物館での展示が決定した時は、どれほどの喜びだったことでしょう。
●キハ41000型は昭和8年に国鉄が初めて量産化した内燃気動車の始祖。
●41307は国鉄から各地の私鉄を渡り歩き、筑波鉄道で廃車。千葉県で運行したものでは、天然ガスが燃料として使われたこともあります。

人車

木曜日, 6月 4th, 2015

人車(じんしゃ) Carriage moved by man-power
案内板より
人の力で押して走った鉄道です。明治の終わりころから大正にかけて、関東・東北地方で多く使われました。この車は宮城県松山町で使われていたものです。「松山人車軌道」は、1922(大正11)年開業。1930(昭和5)年廃業。定員12名、座席8名
人車鉄道は、1895年(明治28)に豆相(ずそう)人車鉄道(小田原~熱海間)として初めて開業しました。小さな輸送力しかありません。主に東日本に20社あり、貨物専用のほか、遊覧目的のものもありました。大砲時代がその全盛期だったが、大部分は規模の小さいものであった。やがて電車や気動車、あるいはバスの進出などにより、多くは昭和初年までに姿を消した。
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鉄製のレールの上に乗せた客車や貨車(トロッコ)を人の力で押すものです。側面に描かれたロゴマークは、おそらくレールの断面図だと思われます。
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人車が初めてできたのは小田原とのこと、「おさるの駕籠や」という唱歌を思い出しました。「小田原ちょうちん」をぶら下げて、エッサホイサッサと人を運ぶのです。

開拓使号客車(コトク5010形式)

水曜日, 6月 3rd, 2015

Kaitakushi Passenger Carriage(Class Kotoku 5010), inported form America.

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説明板より
1880(明治13)年に開業した北海道最初の鉄道「幌内鉄道」で使われた、開拓使など高官専用のアメリカ製特別列車。
・アメリカ式解放客室「中央通路」「デッキ」「転換式クロスシート」を持つ。
・曲線区間でも安定走行が可能なボギー車。
・当時最新技術の空気ブレーキ
・アメリカで実用化されたミラー式自動連結器を採用。(当時、本州はネジ式)ただし、この連結器は外れやすい等の欠陥もあり、ほかの鉄道には普及しませんでした。
・洋式便所、ストーブ付き。
・1961年、鉄道記念物に指定された。

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wikiより
幌内鉄道開業にあたって用意された8両の客車のうち、最上級の客車で、1両のみが存在した。番号はなく、「開拓使」がこの客車の名称であった。1881年(明治14年)8月に明治天皇が北海道へ行幸し、8月30日にお召し列車が運転された。その際御乗用となったのが本車である。

1889年(明治22年)の幌内鉄道民営化にともない、北海道炭礦鉄道に引き継がれたが、1906年(明治39年)に鉄道国有法により買収され、国有鉄道に籍を移した。1911年(明治44年)に制定された鉄道院の称号規程により、5010形(コトク5010)に改められた。1923年(大正12年)、弁慶号機関車とともに、保存のため東京に送られ大井工場内の御料車庫に保管。1948年(昭和23年)、交通博物館へ移されて公開された。

蒸気機関車9856

水曜日, 6月 3rd, 2015

Steam Locomotive 9856
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wikiより
過熱式マレー機関車である。長大なボイラー上には第2缶胴上に蒸気ドームが、第1・第3缶胴上には砂箱が設けられている。
蒸気機関車のボイラーやランボード上の高所もしくは台車や車体に設けた砂箱に乾燥させた砂を入れ、パイプによって動輪付近のレール上に重力によって落下させる仕組みである。砂撒き装置の操作は、運転台に設けられた砂撒きコックを操作する。インドなどでは、機関車の最前部に砂の入った箱を持った係員(サンドマン)が乗り、必要に応じて手で砂を撒くという方法も見られる。

マイテ39形式

火曜日, 6月 2nd, 2015

Class Maite 39 Passenger Carriage
説明板より
東京~下関間の特急「富士」に使うために製造された1等展望車で、戦前の鉄道黄金時代を象徴する客車。
・外国人観光客を誘致するため、展望室の内装に桃山調の装飾を採用。
・20メートルとなった半鋼製車体(一部にリベットを使用)
・乗り心地の向上を狙って、3軸ボギー台車(TR73)を採用。
・軽量化のため、従来位の魚腹台枠をやめ、台枠形状を改良。
・戦後は特急「へいさ」「つばめ」に使用。床下に冷房装置を搭載。
・最後部には、外気に開放された展望デッキを持つ。
※製造年は1930(昭和5)年。鉄道省大井工場。定員24人。全長20メートル。
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ずっと昔からあったのですね、ななつ星みたいな列車。

ハニフ1形式(デ963形式)

火曜日, 6月 2nd, 2015

Hanifu 1 Passenger and Luggage Cariage (Formerly Class De 963 Electric Railcar)
説明板より
甲武鉄道飯田町~中野間(現在の中央線の一部)で活躍し、国有化により、国鉄最初の電車となる。
・総括制御(連結運転)が可能な関節制御と直通空気ブレーキ。
・大部分が木製の国産車体。
・2軸単台車と電装品はアメリカ製。
・ハニフ1形式客車として、松本電気鉄道で廃車(現状の姿)
※松本電気鉄道株式会社から寄贈。
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ドア中央部分には、右から左に向けて「手荷物」と書かれています。これは荷物を出し入れするためのドアです。乗客は出入りすることはできません。
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電車のこちら側には、乗降客のためのドアはありません。
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片方はオープンデッキです。中央に人が電車に乗り降りするドアがついています。

1904(明治37)~1955(昭和30)
この車両は100年前に電車(デ963)として作られましたが、のちに、他の鉄道会社で使われるとき、電車の部品を取り外して、客車(ハニフ1)になりました。
”デ” は電動車(電車)。”ハ” は普通車。”ニ”は、荷物車。”フ” は、車掌室のある車両。