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Archive for the ‘東日本旅客鉄道 鉄道博物館’ Category

ナデ6110形式

火曜日, 6月 2nd, 2015

Class Nade 6110 E;ectroc Railcar, made of wook ,painted in lacquer ”Urushi”.
山手線や中央線で活躍した初期の通勤電車。
・総括制御(連結運転9が可能な関節制御と直接空気ブレーキ
・1972年、鉄道記念物に指定された。

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日本独特の漆塗り木製車体。屋根上に集電用・帰電用として2本のトローリーポールを装備している。注意してみると、前後に各2本ずつあるのがみえます。
客車内の換気のため、天井部に水雷型通風器が取り付けられています。

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緑色のロングシート。運転台との間には、仕切りが設けられるようになりました。
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定員は72名と書かれています。
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wikiより
デハ6285形は、デハ6280形の増備として製造された木製で両運転台式の制御電動車で、1913年(大正2年)から1914年(大正3年)に鉄道院新橋工場で12両が製造された。
本形式は製造時にはナデ6110形(6133 – 6144)と称した。

国鉄181系電車・とき

月曜日, 6月 1st, 2015

Class 181 Electric Railcar “Toki”
wikiより
1956年(昭和31年)秋の東海道本線全線電化に伴い、東京 – 大阪間を6時間30分で運転する電車特急が計画され、翌1957年に完成した国鉄初の新性能電車である90系電車(後に101系に改称)のシステムを基本にして設計された特急用電車である。落成当時の形式称号は20系電車であった。1958年11月に最初に投入された列車の愛称から「こだま形」とも呼ばれる。東海道新幹線開業前の東海道本線のみならず、国鉄黄金時代を象徴する車両である。1959年の第2回鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。
20系電車は、1959年の車両称号規程改正で151系電車に改称され、1962年には、上野 – 新潟間特急「とき」用に製造された派生形の161系電車が登場。1965年には、上記の2系列からの改造と新製車の仕様を統一した181系電車に発展している。

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「こだま」はスマートな流線型で、人気がありました。私が国鉄の電車の前で写した写真はこの181系の「こだま」です。その後、481系へ受け継がれていきます。
1964年(昭和39年)から関西⇔北陸・九州用に直流/交流60Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東⇔東北用に直流/交流50Hz対応の483系電車が製造された。

国鉄40系電車・クモハ40

月曜日, 6月 1st, 2015

Class Kumoha 40 Electric Railcar
案内板より
国鉄初の20m 車体を採用した電動車。中央線などで通勤輸送に活躍。
・乗車定員を増やすために、国鉄電動車では初の20m半鋼製車体を採用。
・乗降時間を短縮するために、3ドア、ロングシート、を採用
・ツリアイバリを廃止した、軸バネ式台車。
・流行に合わせた半流線型の全面スタイル。
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同じ年代だったら、だれにもある思い出です。子供はいつでも同じことをしたくなります。窓から顔や手を出さないようにと、きつく注意されたものでした。
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国鉄オハ31系客車

月曜日, 6月 1st, 2015

国鉄オハ31系客車 Class Oha 31 Passenger Carriage
wikiより
国鉄オハ31系客車は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が1927年から導入した、国鉄で初の鋼製車体をもつ客車の形式群。素材こそ鋼製に変わったものの、車体構造は木造制式客車の最終形であるナハ23800形などとほとんど変わらなかった。
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wikiより
魚腹式の強固な台枠を備え、その上に鋼材による柱や梁を組立てて、そこに外板をリベットを用いて打ち付ける、という従来通りの構造設計が採られており、当初は重いアンチクライマーが車端部に取り付けられるなど、自重軽減に対する意識はほとんど皆無といってよい。

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説明板より
国鉄初の半鋼製客車として誕生。晩年は津軽鉄道で活躍。
・車体強度を高めるための、半鋼製車体。
・溶接技術が確立していなかったため、リベット組立の車体。
・木製客車と同じ二重屋根構造を採用。
・従来のトラス棒に代わって、台枠事態の強度を高めた魚腹台枠。
・衝突時のせり上がりを防止するためのアンチクライマー。
・将来の広軌化(1435mm化)にも対応可能な車軸の長い台車。

国鉄ED75形電気機関車・国鉄485系電車

日曜日, 5月 31st, 2015

ED75 775 Electric locomotive Akebono「あけぼの」
485系 Electric train Hibari 「ひばり」
日本国有鉄道(国鉄)が1963年から製造した交流用電気機関車である。
485系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。
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EF58形式

日曜日, 5月 31st, 2015

Class EF58 Electric Locomotive
説明板より
1956(昭和1)年の東海道本線全線電化で、東京~大阪間の長距離運転を可能にした旅客用電気機関車。
貨物用のEF15形式とともに、無点検での長距離運行を可能にした台車軸受への「ローラーベアリング」の採用。
客車暖房用の蒸気発生装置を装備。蒸気発赤装置を搭載するため、登場時のデッキ月スタイルを1952年から流線語り車体に変更。
日立製作所の製造。
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国鉄ED40形電気機関車

日曜日, 5月 31st, 2015

ED40 Electric Locomotive
国鉄ED40形電気機関車(こくてつED40がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が1919年(大正8年)から製造した直流用電気機関車である。
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wikiより抜粋
東武鉄道から寄贈された10号機が、1968年(昭和43年)から復元(歯車関係は未復元)の上、準鉄道記念物として大宮総合車両センターに静態保存されていたが、2007年(平成19年)10月14日、さいたま市大宮区に開館した鉄道博物館に移設の上で展示されている。展示に際して重整備が行われ、ラック式機構が復元された。展示に際しては、車体の下に設けられた通路からピニオンギアとラックレールが噛み合う仕組みを観察できるようになっている。

ED17形式電気機関車

土曜日, 5月 30th, 2015

Class ED17 Electric Locomotive.nichkname “Crocodylidae”
説明板より
大都市部の鉄道の電化は路面電車に始まりましたが、中央線、山手線、景品船と広がり、いずれも短距離の電車区間でした。しかし、第1次世界大戦の好景気を背景に石炭の需要が高まり、石炭消費抑制などの観点から東海道本線でも電化を推進することとなりました。
1925(対象14)年、東京~国府津・横須賀間が電化されましたが、当時の日本の技術力では幹線用の電気機関車を製造することは難しく、初期には、イギリスやアメリカなどから輸入し、のちにこれらを手本として国産化を目指しました。
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一号機関車(150形式)

土曜日, 5月 30th, 2015

一号機関車 Locomotive No.1( Class 150)
1872(明治5)年、新橋~横浜間の開業に当たり、イギリスから輸入された10両の蒸気機関車のうちの一両。近距離用のタンク式機関車。
明治44年(1911)、長崎の島原鉄道に払い下げられたが、その後に保存のため、1030年(昭和5)年に鉄道博物館に譲り受ける。国の重要文化財。

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鉄道開業初期に使われた客車の実物大模造品。
座席区画ごとに扉をつけたイギリス型の「区分室}
国産化が可能な木製の車体。
夜間の室内照明は油灯を使用。
木胴車輪を採用した二軸車。ブレーキは無装備。
車体側面には、「Third Class 下等」の文字があります。
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国鉄20系客車あさかぜ

土曜日, 5月 30th, 2015

あさかぜ Sleeper train。 Modem Series 20 Carriages Popular with Long-Dinstance Travellers.
国鉄20系客車(こくてつ20けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1958年(昭和33年)に開発した寝台特急列車用客車です。これは模型。
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説明板より。
航空機による移動が一般的でなかったことrは、東京から九州への移動は、多くの人が鉄道を利用していました。戦後しばらくして、長距離列車には三等寝台車が復活しましたが、まだ冷房は特別な車両に限られていました。
一九五八年(昭和33)年に登場した20系客車はそれまでの客車とはちがる2重窓を備えた静かな冷暖房完備の社内、空気バネ台車による快適な乗り心地で、「走るホテル」と言われ大好評を博します。専用の電源車を初めて連結し、寝台車を主体とした電化設備が整った固定編成の列車は、その青色の車体色から、のちに「ブルートレイン」と呼ばれ、以後の寝台特急客車の基礎を築きました。
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昭和40年代によく利用しましたが、当時は、ホテルに宿泊するよりも3段の寝台車に泊まるほうが、値段が高かったように記憶しています。

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