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Archive for the ‘鉄道展・museum etc.’ Category

ホジ6005形式蒸気動車(2)

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ hoji6005

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三等と書かれた下にある右下の赤いラベルは左から右へ文字を読みます。汽車製造株式会社、大正元年製造、大阪 とあります。周りのローマ字が「 KISHA SEIZO KWAISHA OSAKA JAPAN 1912」と左から書かれているのとちぐはぐです。一等車は白帯、二等車は青帯、三等車は赤い帯で表示されます。蒸気機関の部分はいかつい感じですが、客車は対照的に、設備も仕様もたいへん優雅な雰囲気があります。

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天井には明かり窓が設けられています。今の展望車の様相です。単に窓を二段にしたのではなく、採光用に二重の屋根にしています。

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前方中央が蒸気機関です。幼いころに、「窓から頭や手を出してはいけません」と言われたことを思い出しました。なるほどこんな大きな窓があったら、身を乗り出して見ていたくなります。

ホジ6005形式蒸気動車(3)

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ hoji6005

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つり革も網棚も手すりも、デザインが美しく、アールヌボーの気配です。大正ロマンといわれた豊かな時代を思わせます。

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しかし、こんなに長いつり革につかまっていたのでは、さぞかし振れ幅が大きくて苦労したことでしょう。目の高さの窓とは別の窓が上部に設けられています。展望車のようなデザインです。これが大正2年に国内で製造されたとは、明治以来の技術の進歩に驚くばかりです。

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天井板は縦に張られて白の塗装です。照明には灯油ランプのねじが見えます。

クモハ12形

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/kumoha12

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後部から撮影。鉄道省が製造した最初の鋼鉄電車モハ30形式を改造。どの車両でも運転ができるように車体の両端に運転台がある。

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昭和3年汽車会社東京支店。昭和29年豊川工場。東海旅客鉄道、日本国有鉄道浜松工場昭和38年。と刻印されています。大正元年に製造された「ホジ6014形」では、製造会社名も、「三等」や「機関室」の文字も、右から左へ書かれていました。公的な表記でも、すでに向きが変わっていることがわかります。これは昭和2年(1927)製造です。

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側面から撮影。乗務員用ドアが両脇に、乗客用入口は片側3つあります。車体は鋼鉄製。室内は木製。車体外版の鋼板を溶接するためには、リベットを使用しています。

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若戸大橋の橋脚、2012年撮影。夜間のライトアップ。1952年に完成しました。全面的にリベットで溶接されています。この時のリベット打ちの作業は若戸大橋工事のアーカイブ映像が残されていて、スリルのある職人技に感服しました。

スハ43形客車

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ suha43

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戦後に新設計され、従来車両に比べて著しく居住性が改善された3等客車。とあります。内部に見とれて不覚にも、外観を撮影するのを忘れました。

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従来の客車よりもシート間隔を15ミリ拡大。天井灯は従来方式の一列から二列として車内が明るくなった。このほか窓側座席へのひじ掛けの新設。通路側座席への頭もたれの新設など。製造年1954年新潟鐵工。

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窓のカーテンは、従来の鎧戸式から巻き上げ式に変化。上着かけのフックもあります。狭いスペースに膝を突き合わせると、袖触れ合うも他生の縁というのか、長時間たつうちに、プライバシーがどんどん露見していきました。新幹線になって、所要時間が短縮され、外の景色はあまり見えない。乗客は貴重な時間を、午睡や携帯などで有効活用し、隣人と話すことがすくなくなりました。
昭和10年代に九州から上京する列車には、窓に鎧戸がついていて、岡山付近を通過するときには閉めるようにと指示があったそうです。おそらく軍需工場があったのだろうけど見たことがない、と昔話を聞きました。

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洗面所では水とお湯が出るように書いてあります。実際にお湯が使えたかどうか記憶にありません。盆正月の帰省シーズンには、このあたりも一晩中立つ人で混雑しました。

EF58形式電気機関車・EF58 157

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ EF58

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1946(昭和21)年から172両が制作された旅客用電気機関車。1952年製造の流線型車体を採用。のちに前期形も流線型車体に改良された。特急列車の牽引にも使用され、戦後の花形として活躍。東海道本線の前線電化完成時には、特急つばめ、特急はとを牽引し、その後はブルートレインから荷物列車まで幅広く活躍した。製造年1958年。製造所三菱電機、新三菱重工。茶、青、ライトグリーンなどさまざまな車体色があった。(案内板より)

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九州へも往復したのは「はやぶさ」や「あかつき」。「ブルートレイン」とは言わず、「寝台列車」と呼ばれていた頃です。

左は2008年に長崎駅で撮影。京都間を往復していました。残念なことに、牽引車両のEF58ではありません。最後部からテールマークです。同年3月さよなら運転があり、廃止されました。ご苦労様でした。お世話になりました。

オヤ31型式建築限界測定車

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ oya31

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建築限界測定車は、車体の周囲に接触式のセンサーを搭載し、走行しながら建築物の支障確認ができる構造となっている。新たに線路を敷設した時等に使用した。この車両は1937年スハ形式客車として製造され、1959年(昭和34)に改造されてオヤ31が誕生した。製造は田中車両工場(現近畿車両)(案内板より)
本形式では車両側面から矢羽根を広げ、建築限界からはみ出した建造物に矢羽根が触れて倒れるとケーブルまたは電気信号により伝達表示される仕組みになっている。(wikiより)

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センサーの先端部分は白の縞模様があり、ネジで留められています。この車両は「オイラン客車」とも呼ばれました。花魁が髪を結いあげて長いかんざしを挿した姿ににているところから付けられたものです。改造されたのは全部で7両。国鉄民営化で、北海道、東日本、東海、西日本、九州の各JRへ一台ずつ引き継がれました。1995年以降、除籍解体され、現在は1台が名古屋鉄道館に展示されています。

国鉄バス第一号車

火曜日, 8月 13th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ JNR bus

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1930(昭和5)年に鉄道省が初めて直営による路線バス輸送を開始した際に使用された車両。岡崎~多治見間等で運転された。当時、国内を走るバスは外国製であったが、国鉄は自動車産業育成のため、国産車を採用した。(案内板より)
ヘッドランプが丸くて予備タイヤを両脇に装着。クラシックカーから、まるでジャン・ギャバンが現れそうです。要らないのか、バックミラーが見当たりません。フェンダーにポールがあるのは、旗を立てるためでしょう。

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1960年ころ、国鉄瀬高駅から山川村(現在は山川町)を通って熊本の山鹿方面へ行く国鉄バスがありました。本数は少なく、列車の到着を待って出発しました。それがボンネットバスだったかは覚えていませんが、悪路に埃を巻き上げ、飛び跳ねるように走った記憶があります。国鉄が民営化された後も、JRバスや産交バスが引き継ぎました。一昨年から部分的に廃止され、自家用車がなければ不便なところになっています。

新幹線とリニア

日曜日, 8月 4th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park/ MLX01-1 / Sinkansen300X

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超電導リニアMLX01-1。2003年、山梨リニア実験線において、鉄道の最高速度581キロを記録しました。
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超電導リニアMLX01-1。前方から。
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955形式 新幹線試験電車300X。新幹線の最新裁量の高速システムを追及するために開発した試験車両。1996年、電車方式による当時の世界最高速度443キロを記録しました。5489

蒸気機関車C6217

日曜日, 8月 4th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park / Steam Locomotive

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昭和23年日立製作所で製造。
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国鉄時代の昭和31年、神戸の鷹取工場でボイラーが取り換えられています。

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C2617。急行、特急用として政策された日本で最大、最速の旅客用大型蒸気機関車。。既存のD52形式蒸気機関車のボイラーを流用して、1948年(昭和23年)から総計49両が誕生。東海道本線の特急「つばめ」「はと」などの牽引に使用した。この展示車両は1954年の木曽川橋梁の強度試験にて129キロを記録。これは狭軌における蒸気機関車の世界記録となっている。(案内板より)
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動輪もボイラーも大きく、高さも高い。

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こんなに美しく修復されると嬉しいようでもあり、あったはずの油汚れもなく、擦り傷一つない機関車になってしまったことが残念にも思えます。
京都梅小路機関庫のC62は戸外に保存されています。

ED18形式電気機関車

月曜日, 7月 29th, 2013

SCMAGLEV and Railway Park / ED18

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東海道線本線の電化に備えて、1923(大正12)年に、イギリスから輸入された1040形を飯田線で使用するために改造して退場した2両のうちの1両。台車の中央に夕リンを1軸追加し、それぞれの車軸にかかる重量を軽減し、飯田線などの視線での使用を可能にした。1970年にJR東海が2号機を整備して復活。2005年までイベントで活躍した。最高速度65キロ。イングリッシュエレクトリック社製。狭軌。(案内板より)

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当時、鉄道省はイギリスから機関車を輸入しました。第1次大戦後と第2次大戦との間です。貨物用なのか、明かり窓が小さく、通風孔が一面にあけられて、装甲車に似ています。もう一台は解体されたのか、気になるところ。2005年まで80年間使用されたとあるわりに、展示用に再生されたのか美しく保存されています。
日本の軌道幅はイギリスから輸入したことで狭軌が基本となりました。今もヨーロッパ大陸の列車は、イギリスの新しいユーロスター用線路には入れますが、従来の線へは入れないそうです。