国立西洋美術館・展示模型

スタイン・ド・モンヅィ邸 1988年


コルビュジエに影響を受けた日本の大学や団体作成の模型が並びます。


この模型は芝浦工大建築工学科の研究室で1988年作られたものです。現在は広島市現代美術館に所蔵されています。




オザンファンのアトリエ模型


lla-Atelier Ozenfant, Le Corbusier

アメデエ・オザンファンは、フランスの画家、特に、ピュリスムの画家。 絵画を学び、後にパリに出る。パリでは建築と絵画を学び、キュビスムの影響を受ける。1915年に「L'Elan」という雑誌を創刊し、1917年まで編集に携わる。この間、ピュリスムの理論が形成されていくことになる。(wiki) ルコルビュジエは、キュービズムを批判するピューリズムを提唱し、オザンファンと共同でエスプリ・ヌーヴォーという雑誌を発表した。仲間である画家、オザンファンの為に建てたアトリエ・ハウス。


ルコルビュジエ独特のらせん階段 。場所はパリ14区の南端、モンスリー公園付近。現在は三角屋根はない。


ヴォワザン計画模型 2019年


ル・コルビュジエのパリ改造計画
 ル・コルビュジエの作品は、近代建築運動に顕著な貢献をしたとして2016年7月にユネスコ世界遺産に登録された。
信条について妥協しないこのスイス人建築家は、数多くの都市計画案を制作したが、日の目を見たものは少ない。
彼はパリの都市計画も構想したが実現せず、花の都は辛くも改造を免れた。


今橋映子さんの著書『<パリ写真>の世紀』(白水社)を読むこと。
コルビュジェがヴォワザン計画を策定したその時代のパリ。
ルネ・クレール監督のサイレント映画『眠るパリ』は、その同時代のパリの情景を捉えている。
映画自体は、ある博士が発明した光線によって、パリが一時静止してしまう(眠る)という内容の映画だが、その静止が溶けると、パリの活気ある都市が息を吹き返す。
コルビュジェがヴォワザン計画をつくった意図がその情景を見ると理解できるのだ。当時、パリはすでに車で混乱し、いわゆる公害を発生させていた。コルビュジェはそうしたパリの中心(セーヌ右岸)を一掃し、超高層ビル街を計画。ビルとビルの間には緑を植え、パリに清らかな空気をもたらそうとした計画を発表することになる

イムーブル・ヴィラ1922年


1988年、東京理科大学アルカディア自由ゼミナール制作。広島現代美術館所蔵。
1922年、都市デザインを構成する住居の一類型として考案。展示室壁側に展示されるアクソメ図では、400m×200mの街区に、ロの字型住棟が300m×120mの公園を取り囲み、公園には緑地や散策路、テニスコートなどの運動施設が配される。各住戸はメゾネットで、2層分の高さを持つ空中庭園を持つ。
コルビュジエの理念を実現した第一号である《マルセイユのユニテ・ダビタシオン》が1952年に完成します。