松濤美術館


設計者 白井晟一
井の頭線神泉駅から徒歩約5分。閑静な高級住宅街にあります。外観は撮影できますが、内部は禁止されて残念です。建物中央にはガラスで囲まれた吹き抜けの空間があり、地下2階を見下ろすと噴水があります。白井晟一の名前を知らなかったころ、神谷町付近にある「ノアビル」の異様な雰囲気に目が留まり、すぐにカメラを向けたことがありました。それが作品の一つと知ったのは、実現しなかった原爆堂の考案者だと分かった後でした。感性というより「観念を構成する」ことが先にあるような建築に思えます。



昭和56(1981)年10月に開館した松濤美術館は、哲学的な建築家といわれる白井晟一の設計のもとに完成した建物です。池に噴水があるという点で共通する静岡市立芹沢銈介美術館(石水館)と共に白井の晩年の代表的な作品ともいわれ、斯界の発展に多大な貢献をしてきました。

松濤美術館が立地する渋谷区松濤は閑静な高級住宅街として知られ、当時の計画書によれば150坪の建築面積に建物の高さは地上から10mまでと定められていました。このような状況の中、展示室だけではなく美術教室を実施するホールや調査研究のための図書室の設置といった区側の要望を聞き入れるために、白井は地上部分を2階にとどめ地下に2階分を造ることで解決しました。また、住宅街という地域性をかんがみ、外周の窓を最小限に抑え、中央吹抜部から採光する形状となりました。

設計者 白井晟一 明治38(1905)年、京都に生まれた白井晟一は、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)を卒業後渡独し、ハイデルベルク大学及びベルリン大学において近世ドイツ哲学を学ぶ傍らゴシック建築についても学びました。

昭和8(1933)年、約6年間のドイツ留学を終えた白井は帰国し、哲学や美学の道を選ぶことなく「河村邸」、「近藤邸」、「歓帰荘」の設計を皮切りとして建築家としての道を歩み始めます。遺作となる「雲伴居」まで数々の作品を遺した白井は、高村光太郎賞(造型部門)、建築年鑑賞、日本建築学会賞、毎日芸術賞、日本芸術院賞を受賞しており、これらは建築専門誌のみならず一般的な新聞・雑誌にも取り上げられるほどでした。(松濤美術館HP)