新橋幸橋架道橋

明治17(1884)年11月、東京府市区改正意見書が発表された。東京にとって初の都市計画にあたる。政府は翌明治18(1885)年、内務省内に東京市区改正審議会を設置し、この意見書の審議を始める。各省の代表者と渋沢栄一、益田孝が委員となった。11月21日の会議で「鉄道は新橋、上野両停車場の線路を接続して、鍛冶橋および万世橋の北に停車場を設置すべきものとする。ただし、線路は高架線とする」と条件づけられた。(wiki)
この決定は、とても先見の明のあるものだったと思われます。明治に鉄道が初めて敷かれてから間もないころにもかかわらず、高架線にしています。おそらく東京であっても交通量は少なく、人口もすくない、交通渋滞など想像できない状態だったでしょう。そんな時代によくぞ高架線にしたものと関心します。さらに、その上を現在は新幹線が通っているのも驚きます。







京浜東北線 ・山手線、東海道線、さらに東海道新幹線も通っている。 総径間: A: 22.30 m (工事記録の 73.6尺による) 現在の塗装記録は 22.95 mとなっている T : 29.57 m ( 塗装記録による ) TX : 29.42 m( 塗装記録による ) 空 頭: 高さ制限 : 3 . 3 m 竣工年: A: 1910年(明治43年)6月 複線開通 1914年(大正3年)12月 複々線開通 第1 ・第4線のみ 1956年(昭和31年)頃に 架替え工事 T: 1942年(昭和17年)7月までに増線 TX: 1964年(昭和39年)10月1日 開通 名前の由来: 建設当時、すぐ北側の外濠に架かっていた 「幸橋」に 由来する。