大阪市中央公会堂

1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円を寄付したことにより、1911年建設計画が始まった。
北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さや富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い印象を受けた。彼は父の遺産と私財をあわせた100万円を公共施設建設に寄付することを決め、蔵屋敷の廃止後衰退し再生を模索していた中之島に公会堂を建設することにした。なお、公会堂の所在地は浜田藩の蔵屋敷跡になる。
設計は岡田信一郎案が1位となり、岡田の原案に基づいて、辰野金吾・片岡安が実施設計を行った。
1913年に着工、1918年にオープン。岩本栄之助は第一次大戦による相場の変動で大きな損失を出し、公会堂の完成を見ないまま1916年)に自殺した。(wiki)



