大阪大丸心斎橋店

大丸心斎橋店 竣工年: 1期/ 大正11年(1922)2期/ 大正14年(1925) 3期/ 昭和8年(1933) 設計: William Merrell Vories

老舗百貨店、大丸の本店。三越大阪店亡き今、近畿圏最古の百貨店となった。
伏見の呉服商下村彦右衛門が全国出店の足がかりにすべく、享保11年(1726)大阪心斎橋筋の間口1間(約1.8m)の店舗を入手、開業したのが心斎橋店の始まりである。
問屋と両替商が商家の大部分を占めた大阪都心にあって、島之内心斎橋筋周辺には奢侈品を扱う小売業者が集積していた。
その後、享保14年(1729)には早くも全店で現金正札販売を行い、1736年に大丸総本店(京都)を設立。1743年には江戸店を開店し江戸三大呉服店(三井越後屋、大丸、白木屋)の一角に称された。不況時には貧民救済にあたり慈善家としての評判も高かった。大塩平八郎の乱でも「大丸は義商なり、犯すなかれ」といわれ、大丸心斎橋店は焼き討ちをまぬがれている。ちなみにライバル(?)の三井越後屋大坂本店は焼き討ちにされた。

明治以降大手呉服商がこぞって百貨店化した。大丸も大正7年、心斎橋店をW. M. ヴォーリズによる木骨4階建てレンガ造のゴシック・リヴァイヴァル建築の百貨店としてオープンさせた。しかしわずか一年半で焼失し、今度は地上7階地下2階、鉄筋コンクリート造の、現在見られる建物の建築が進められた。
三越、高島屋といった老舗百貨店の旗艦店は見事な近代様式建築であることが多い。しかし大丸心斎橋店は全体のフォルムや細部の装飾など、他とは一線を画する高い完成度を誇る。やはり欧米人の作る西洋様式建築は日本人のそれとは比較にならない。欧米人は日曜に通う教会建築から菓子箱の意匠に至るまで、伝統様式のデザインに囲まれて育っている。
高等教育機関で初めて本格的に西洋美術を学習する日本人とははなから土台が違うのだ。様式主義的意匠の濃密な百貨店建築の設計に、米国人ヴォーリズを起用した大丸の選択は賢明だったように思われる。
本物件はゴシック・リヴァイヴァルを基本に、幾何学的なアールデコ・スタイルの装飾が散りばめられている。外装、内装ともに壮麗な装飾で埋め尽くしながら、仰々しさを感じさせない感覚の鋭さは素晴らしい。
空襲で大部分の伝統的木造商家が失われてしまった島之内、心斎橋筋界隈で、大丸心斎橋店は近世以来の伝統ある商業地を代表する記念碑的な建築といえる。(大阪の古建築HP)

画像がありませんが、古い時代のエレベーターも嬉しくなります。針が階数を指して回るからです。
開花亭は伝統的な味を守って3階にあります。





