東京駅2005年復原前

竣工当時の東京駅(前庭より) 1889年(明治22年)に神戸まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年(明治29年)の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。施工は大林組が担当。 日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年(明治41年)から建設工事が本格化し、1914年(大正3年)12月20日に開業した。中央停車場は皇居(宮城)の正面に設定され、「東京駅」と名付けられた。

1923年には関東大震災で被災したものの大きな被害はなかった。しかし、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こした。

できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事だったが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鉄道省の建築家・伊藤滋や松本延太郎たち、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられている。

長らく先延ばしされてきた建て替え計画は、1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけて、創建当初の形態に復原する方針がまとめられ、500億円とされた復原工事の費用を丸の内地区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出することで、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して、東京駅の復原工事が行われることとなった。復原工事自体は、2007年(平成19年)5月30日に起工され、2012年(平成24年)10月1日に完成した。
丸ビルの造形

