唐津市・呼子大綱引

「文禄・慶長の役」時代、豊臣秀吉が名護屋城に陣を構えていた頃、将兵の士気を高めるために、加藤清正と福島正則の陣営を東西に分け、軍船の綱を用いて引かせたことから始まった伝統的な祭りです。 約420年の歴史をもち、岡組が勝てば「豊作」、浜組が勝てば「大漁」となります。
訪れたのはちょうど6月1日、「大綱引」の大祭の日にあたり、港には幟旗が並んでいました。

呼子愛宕神社

愛宕神社からは呼子港が一望できます。 御祭神:火之迦具土神
由緒
当社は京都府鎮座の愛宕神社の御分霊を、浦方地区の氏神として祀られたものです。
呼子港は、風待ち潮待ちの重要な港として、古代から大陸への経由地であり、中世には松浦党の基地、近世には西海航路の重要な港町でした。

イカ釣り漁船

写真上段右は、生(け)簀。 イカ釣り漁船
日没に出港します。
漁場でパラシュートアンカーと呼ばれる錨を海中に落とし、船体を固定します。
集魚灯を灯してイカを集めます。
擬餌針をイカのいる深さまで下ろし、機械で自動的に釣りあげます。
(石川県漁業就業者確保育成センターのHPより)
イカを電動式回転乾燥機で乾燥させます。

朝市

呼子港の東側の朝市通りで、朝7時30分から12時まで毎日開かれています。
写真左はアラカブ。

鯨組主中尾家屋敷

江戸時代に鯨組主として巨万の富を築いた中尾家の屋敷として建てられた建物。中尾家は、初代から8代の170年間にわたり、唐津藩呼子に本拠をおき、小川島を中心に捕鯨業を一手に引き受けていた家。当時は、「中尾様にはおよびもないが、せめてなりたや殿様に」とうたわれるほど、唐津藩の財政に大きな影響力を与えたと言われている。
捕鯨の衰退とともに、建物の存在も忘れ去られつつあったが、大学の調査により鯨組主の屋敷として、これほどの規模の遺構は全国的に例がないと分かり保存整備が決定。平成20年(2008)に復原工事が始まり、平成23年(2011)から一般公開されている。(たびらい)