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トップの地図は、山本町の大庄屋であった上野家が所蔵する日本地図の一部です。これは九州の部分で、中央部分には久留米、柳河、三池の文字が見えます。距離の正確さはさておき、東西南北の方角はわかりやすい。

千光寺

千光寺梵鐘 昭和32年県文化財指定
征西将軍宮懐良(かねなが)親王にゆかりのある千光寺は、筑後国在国司草野永平が、建久3年(1192)に千光国師栄西を招いて開山したという曹洞宗の古刹です。
当時の鐘楼にかかる総高約110センチの梵鐘には、永和3年(1377)の北朝年号の銘があります。
境内には南朝の征西将軍宮の御陵墓や宝筺印塔が伝わり、「北朝」と刻まれた梵鐘があることに、複雑な当時の世相が伺えます。
この梵鐘は鎌倉時代の特徴でもある簡素で力強い作風をそなえ貴重なものです。(案内板より)

田中吉政公供養塔
田中吉政は関ケ原の役で、西軍に味方した筑後の4大名立花宗茂・ 高橋直次・小早川秀包・筑紫廣門にかわり、慶長6(1601)年 1月、筑後藩主として入国しました。
吉政は関ケ原の役に活躍し、西国の総帥石田三成を生捕りにした功績により柳川城を本城としました。

天満宮

福岡県久留米市山本町豊田
千光寺への参道にあります。小さく見えますが、実際は鳥居と狛犬があり、立派な拝殿があります。奥に見える本殿とは別れています。画像では拝殿の賽銭箱が手前にわずかに見えています。

山本町旧道添いのお堂

上野家住宅

上野家住宅・庭園
上野家は代々、大庄屋を務めた家柄であったため、往時の大庄屋屋敷の様子を伝える建物と庭が残されている
。 御成間とは当地を音売れた藩主や藩の重臣などが宿泊や休息をする施設である。久留米藩領には24人の大庄屋がいたが、このような建物は他に
残っておらず、きわめて貴重な建物であるため、福岡県指定を受けている。建築年代は文化年間とされている。 この建物の南から東に築庭されているのが上野家庭園である。この庭は池泉を中心とした回遊式の庭で、遠景に耳納連山を借景として取り入れ、奥深い広がりを感じさせている。明治初期の庭園であり、市指定の名勝として保存が図られている
御成間と庭園が織りなす落ち着いた雰囲気は人々に安らぎを与えずにはおかない名園である。(案内板より)

地図