田川市石炭・歴史博物館

田川市石炭・歴史博物館は、かつて筑豊随一の規模を誇った三井田川鉱業所伊田竪坑の跡地に所在します。 昭和58(1983)年に「田川市石炭資料館」として開館以来、石炭を主テーマとするユニークな館として注目されてきました。 平成23年(2011)に、日本で初めてユネスコ世界記憶遺産に登録された「山本作兵衛コレクション」697点のうち、627点を所蔵し、屋外には実際に炭坑で使用された大型機械類や、復元の炭坑住宅も展示しています。ここを訪れたのは2013年3月、山本作兵衛が描いた炭鉱の暮らしが大注目されていました。

伊加利(いかり)人形芝居

江戸末期、伊加利村に悪い病気がはやり、幼児が次々と死亡。村人たちが村の鎮守神岩亀八幡(いわがめはちまん)の末社である宇賀社に疫病終息の祈願を行ったところ、弁財天(べんざいてん)が現れ、「子どもの喜ぶ人形芝居を奉納せよ」と告げたといいます。こうして慶応元年(1865年)から毎年元旦に、人形芝居を奉納、村のある限り「万年願」として、今日までつづけられています。  【福岡県指定無形民俗文化財】

田川春日神社蔵 神楽面

春日神社は1243年前(宝亀6年)に鎮座し、藤原氏の荘園(鎮守神)として由緒を持つ神社です。
県の文化財に指定されている元紀宮帳によると、慶安3年(1650年)に「面7面奉彩色也」との記載があり、神楽は約400年以上前からから伝わったと考えられ、その形態は豊前系と筑前系が混入した、藩域を越えた神楽の伝流から他の豊前神楽に比べ特異的な伝承形態を持つ神楽として注目され、平成3年11月15日に福岡県無形民俗文化財(第70号)に指定されました  平成28年3月 豊前神楽の一つとして国の重要無形文化財に指定されました。

魚楽園

「魚楽園」という名前は、文久2(1862)年に江戸時代の漢学者 村上佛山氏が、中国の詩経の大雅篇の一文にある「魚楽しければ人また楽し、人楽しければ魚また楽し」 から引用して命名したといわれています。 これは当時の京都が応仁の乱で荒廃しており、戦乱から逃れてきた雪舟が、戦争を憂い、平和を願う心境を表したもので、平和への願いを込めた理想郷として策庭されました。(魚楽園HPより)
魚楽園は紅葉の景色がよいと評判です。音ずれたのは3月なので残念ですが、それでも庭には種々の花が咲いていました。

田川料亭・あをぎり

国指定登録有形文化財。 近代建築遺産にも指定された、田川の初代市長:林田菊次郎旧邸を改築した料亭です。

田川市美術館展示から

松永 真氏 1993-94制作。ブロンズ
1940年東京生まれ。1964年東京藝術大学美術学部デザイン科卒。資生堂宣伝部を経て、1971年松永真デザイン事務所設立。主な仕事に、資生堂のサマー・キャンペーン、一連の平和ポスターから、ベネッセ、ISSEY MIYAKE、国立西洋美術館などのCI計画。スコッティ、カンチューハイ、国際コンペ優勝の仏たばこジタン、資生堂ウーノのパッケージデザイン、大ベストセラーとなった日本国憲法のブックデザインなどがある。そのほかドローイングや彫刻、モニュメントまで広範囲なクリエイティブ活動を行う。(以上記事より)

1945年、疎開で田川市に移り住み、中学2年までを過ごす、とあります。名前だけではわかりにくいのですが、実際に私たちが使っている商品の中に、彼の作品が多くあります。たとえば、カルビーやバンダイのロゴマーク、ブレンディインスタンのコーヒー瓶のデザインなど。これらの作品はあまりに面白くて撮りましたが、興味を持っている人は余りいませんでした。

田川・中村美術館

伊田神幸祭

各町内から出た11台の山笠が午後1時ごろ風治八幡宮前に集まり、 神幸祭典執行の後、神輿(みこし)の出発に先立ち、「お立ちの獅子舞」が奉納されます。 福岡県五大祭りの一つに数えられ、福岡県指定無形民俗文化財第1号に登録されている風治八幡宮の「川渡り神幸祭」。 永禄年間(1558年~1570年)、伊田村に疫病が流行した際、村の氏神である同神社にその終息を祈願し、成就のお礼として奉納されたことに始まるもので、以来今日まで450年以上も続く歴史と伝統を誇る祭礼です。(田川市HP)
2011年5月撮影。

地図