須恵川・志免西原硬山(ボタ山)

志免町、須恵町、粕屋町(国鉄志免鉱業所=元海軍炭鉱) 第五坑の硬山と云われる現在炭鉱跡として遺っている場所の坑ロから採掘されてきた石炭を、撰炭して出て来た硬を野積みして出来た。
その硬山は、行く筋かの硬スキップと云う硬を運搬野積み用の運搬装置で作られたもので、幾つかの硬やまが盛られたのだが、その中で丁度3町の境界上に盛られたのが「西原硬山」と、小字の名称で名付けられた此の硬山は、海軍炭鉱~国鉄志免炭鉱で一番美しい硬山と云われていました。(wiki)

JR香椎線須恵駅を下車、西へ進むと須恵川に出ます。対岸にある単一の山がボタ山です。今では緑に覆われて判別しにくくなりました。中央奥の小さな建造物は旧志免鉱業所竪坑櫓です。

旅石八幡宮

須恵甲植木若八幡宮

周囲を見渡すとほぼ平地に近く、この八幡宮の場所だけが小高くなっています。 まるで古墳の跡であるかのようです。ふもとの鳥居が、ここから上り口ということを示しています。階段はかなり急です。
ここで印象的なのは狛犬。阿形が大口をあけて笑っているように見えるので、吽形は、じっと笑いをかみ殺しているようです。

須恵宝満宮

(写真右下)殿様槙
この木は地区の人から殿様槙と呼ばれて親しまれています。
「福岡県神社誌」(昭和19年刊)などによれば、名島に築城した安土桃山時代の武将、小早川隆景が、天正15年(1587)すたれていた社殿を造営、その後慶安3年(1650)、福岡藩3大藩主忠之公が宗風した際、若杉山の山林の一部を寄進、記念にこれを植えたといわれます。
以来、約360年地元の人が大切に守り育ててきました。平成7年4月須恵町自然教育林推進協議会によって町の保存樹に指定されています。(案内板より)

糟屋郡須恵町を南北に通る県道35号線そばにある「須恵宝満宮」は、玉依姫命・菅原神(=菅原道真)・須賀神をお祭りしている、応徳2年(1085年)につくられた歴史深いお社。こちらは須恵エリアの産土神(土地を守る神様)として知られ、宝満宮の名前から分かるように、太宰府市の宝満山にある竈門(かまど)神社の末社にあたるところ。その昔、80あった竈門神社の荘園(大寺院や神社の私有地)の北の境目である、現在の須恵町大字須恵古宮に分霊されたのが始まりと言われています。(糟屋郡HPより)

上須恵須佐神社

御祭神:須佐之男命、天照大神、玉依姫命
境内周辺の大きな森は町の保存林に指定されています。(案内板より) ここは疲れて上れず、心残り。