裂田溝(さくたのうなで)

裂田溝は、「日本書紀」にも記載があり、歴史的な景観を残しながら約1300年を経てもなお、現役の人工用水路として活躍している貴重な古代水路です。 背振山から流れ下ってきた那珂川が、周囲の山地をぐっと押し広げるように平野を開いたあたりに、その水路は位置します。 長加賀の一ノ井手より取水し、全長は5.5キロメートルあります。農業用水路として、山田から安徳、五郎丸、松木を経て今光までのおよそ130haの水田を潤し、また、雨水の主要な水路として利用されるなど、現在でも利水・治水の両面において活躍しています。(案内板より)、

那珂川地図

裂田溝の名前の由来は「日本書紀」の記載によるものですが、記載されている「大岩が立ち塞がった」のがこの場所だといわれています。教育委員会が実施した調査では、このことに関する成果が得られました。地質的な調査では、ここより上・下流は柔らかい地盤であるのに対この場所だけ硬い岩盤が東側の丘陵から細長く張り出していることがわかりました。(左図参照)
また発掘調査でも、裂田神社の裏手から溝の底を経て、対岸まで広がる花崗岩の硬い岩盤を確認しています。つまりここまで掘り進んできた水路を北側へ通すためには、どうしても水路の開削を遮っている硬い岩盤を突破しなければならず、その工事がいかに大変であったかが、日本書紀の記載に繋がったのではないかと考えられます。
裂田溝は、水田への水の供給をはじめ、私たちの生活と大変密接な関係にあったため、これまで必要に応じて何度も改修され、溝幅も変化しています。しかし、この場所は伝説とも符合するため、水路の初期の形状を留める可能性が高い重要な場所といえます。(案内板より)
裂田溝周辺の地形地質・・ピンク色の部分が花崗岩の岩盤部分です。ちょうどこの場所(裂田神社部分)に向かって張り出しているのがわかります。(案内板より)

安徳台と大岩

安徳台は奴国(なこく)の拠点集落の一つである。日本書紀にいは「とどろきの岡」と記され、江戸時代には御所ケ原とも記されている。安徳台は高台となっており、台地上は約10万平方メートルの平地となっている。(案内板より)

裂田神社

裂田神社は宇竜頭にある。裂田の溝を記念して神功皇后を祀ってある。朱塗りの拝殿は間三間、入二間、絵馬がところせましと奉納され、その奥に神殿がある。神殿の扉には菊花の紋章がある。境内には明治39年の鳥居をはじめ、こまいぬ、注連掛石などが、杉の老木や古株と並び、裂田の溝が周りをめぐっている。
例祭は11月28日で、氏子の人たちが集まって火たきごもりをする。(案内板より)