諸岡・井尻の旧跡

西鉄電車井尻駅を下車。このあたりは、三笠川と那珂川にはさまれた平野が広がっています。海岸線を離れてこのエリアは古代から大人気だったようです。 ここへへ来て古墳を造り、水田を耕しています。最初の弥生時代の板付遺跡も徒歩圏内です。 現代も、JR在来線、新幹線、西鉄線、国道3号線と、この地域を通り二日市の水城を抜けます。ただ新幹線だけはトンネルの技術が発達したために鳥栖に向かって山の中を直行しています。

地図

師岡遺跡

諸岡B遺跡
標高約23メートルの丘陵上に位置し、諸岡B遺跡という遺跡の範囲に含まれます。 かつて、太平洋戦争中に高射砲陣地が造られたときには多くの弥生時代の甕棺墓が出土しました。昭和28年に戦没者を祀る忠魂社の建立時には細形銅剣や貝輪を副葬した甕棺墓も出土しました。
その後、昭和47年から実施した発掘調査で、今から2万年以上前の旧石器時代から室町時代に及ぶ複合遺跡であることがわかりました。旧石器時代のナイフ形石器などの石器類、弥生時代の朝鮮系無紋土器が出土する小竪穴、貝輪を副葬する甕棺墓などを発見しました。 古墳時代にはこの丘陵に5基の円墳が造られ、八幡宮裏にその1基を見ることができます。
室町時代には、地下式横穴墓も営まれていました。江戸時代の記録の「筑前国続風土記」には、後醍醐天皇による「建武の新政」(1333ー1336年)の頃の合戦の場所と記されています。(案内板より)

写真上段左・・師岡遺跡の発掘図。下方(西側)は、八幡宮、2号墳、3号墳、瀧見天社、4号墳が並んでいます。この丘陵は特別緑地保護地区です。上方(東側)は筑紫通です。筑紫通は博多駅筑紫口から始まり、南へ向かう幹線道路で、JR鹿児島本線と並行に春日まで通じています。
写真上段右・・瀧見天神社
写真中段・・丘陵上の小さな祠
写真下段・・遺跡から発掘。下段左第2次調査甕棺墓検出状況。下段中貝輪を装着した人骨。下段右第23次調査地点(特別緑地保全地区)の甕棺墓

井尻地禄神社

写真2枚目、石碑について
御祭神:埴安神
寛政11年(1799)に完成した「筑前国続風土記付録」の井尻村の項に「地禄神社」と記されている。

この碑を板碑といい、中央の梵字は阿弥陀を意味しています。
今から約700年前戦国の世に吾々の先祖である村人が戦いに参加して数多く散奉したので、その霊を弔うため建立された慰霊碑です この板碑は非常に大きく福岡市内では数少ないと言われています。(氏子総代説明版より)

所在地:筑紫郡曰佐村大字井尻字兵太郎
祭神:埴安神
本殿、渡殿、拝殿から成る。