久留米城址

戦国時代より土豪、豪族の間に、この古城をめぐって興亡の歴史を綴りながら、元和7ねん(1621)有馬豊氏丹波福智山より転封入城し、以降廃藩に至るまで11代250余年の間、有馬家累代の居城として藩府が置かれていました。
本城は北西に筑後川を自然の濠とし、天恵の地勢を活用したすこぶる険要の地にあります。築城法は平山多聞造りで、高い白土の城壁にそびえ立つ二層と三層の7つの櫓があり、本丸東南隅の三層建ての巽櫓は壮大な威容を誇っていました。
今は石垣だけが残り、城内には有馬三氏を祀る篠山神社や、有馬家資料を展示する有馬記念館があります。

水天宮

真木和泉
江戸時代後期の久留米水天宮祠官、久留米藩士、尊皇攘夷派の活動家。(1813-1864)久坂玄瑞ら同志と共に禁門の変(蛤御門の変)に主戦派として参加し、破れた後敗走するも天王山に17名で立て籠もり、会津藩と新撰組の追撃を受け爆死自害した。享年52。久留米水天宮に真木神社で祀られています。(wiki)
水神社の狛犬
自分の痛いところを撫 でればその痛みがとれるという事で「撫 で狛犬」とも言われ、多くの方々から崇 敬をいただいています。(水天宮HPより)

梅林寺

ムーンスター工場

青木繁旧居

日本が明治維新から近代国家へと急激に変貌していく中で、一人の天才が彗星のように現れ、ひときわ鮮やかな光を放って駆け抜けていきました。
青木茂(1882ー1911)は、久留米市荘島町に生まれ、重要文化財「海の幸」「わだつみのいろこの宮」などの鮮烈な作品を世に残して28歳の若狭で波乱の生涯を閉じました。
その青木繁が多感な少年時代を過ごし、類稀な芸術の才能をはぐくんだふるさとの家を「青木繁旧居」として復元整備し、かけがえのない市民の財産として永く後世に伝えることにいたしました。
青木繁旧居保存会のご努力と多くの皆様のご支援に、心から感謝申し上げます。

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