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春日神社の4本の大木の周りには柵が設けられて、伸びた根を踏まないように維持されています。この苔を見ただけでも、古色ゆかしき寺の由緒がわかるというものです。

春日神社

春日神社は、後の天智天皇となる中大兄皇子(626年~672年)が長津の宮(現在の高宮)に居られる時、春日の地に天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祀られたことに由来する。
天児屋根命は、春日権現とも呼ばれ、神仏習合の神といわれている。(神社HPより)

瓦田地禄神社

祭神:埴安命、埴安姫命
宝永6年(1709)に編纂された「筑前国続風土記」をはじめ、江戸時代の地誌には「うど」という処に地禄天神社あり下の宮という産神の旧宮なりとある。 「うど」とは現在の瓦田公民館の東側の地である。古老はここに旧宮があったと伝え、「元宮」と呼んでいる。鎮座のはじめはつまびらかでない。(案内板より) 地禄神社は規模の大きさを問わないのであれば福岡周辺だけでも全部で17社が鎮座しています。

瓦田忠魂碑広場

福岡県大野城市瓦田3丁目3
忠魂碑は大東亜戦争で亡くなられた方々を追悼して昭和38年に建立されました。"

福岡県蚕業試験場跡

永い間続けられていた養蚕ですが、第二次世界大戦が始まると衰退していきます。桑畑はより経済性のある作物にとって代わられました。養蚕をする農家はほとんどなくなり、昭和の中頃になると休息な都市化により農家自体も激減します。 大野城市内では今も多少の農業は行われていますが、農地のほとんどは「宅地化されました。福岡県繭検定所はその後移転し、跡地は大野城市役所の一部となりました。明治から昭和の初期までこの地の主要な蚕業であった養蚕の足跡を記念して、今は一本の桑の木が植えられています。(大野城市レポートより)
古い写真は大野城市のレポートから転載、

大野城市大野小学校のセンダンの木

大野城市指定天然記念物。運動場にあるセンダンの樹齢は150年から200年と推定され、市内および周辺を含めて群を抜いた大木です。高さは約9.8メートル、幹回りは約2.5メートルあります。大野小学校が開校されたときには、運動場の隅にあったといわれていますが、何回か運動場が広げられるのに伴って、現在のように運動場のほぼ中心に来るようになりました。(後略 案内板より)

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