長崎街道・飯塚(2)

伝右衛門邸を今までに3度訪れる機会がありました。たびごとに伝右衛門氏は地元の人々に尊敬されていることが伝わります。
幸袋生まれで貧しい家庭に育ち、一代で巨万の富を築きましたが、様々なかたちで地元へ還元しています。小学校への寄付、炭鉱夫の生活環境の改善、住宅設備、太宰府天満宮の鳥居など。地元民には目に見えて、わかりやすい。現在は伊藤家の跡継ぎはなく、こちらの屋敷は飯塚市の文化財として運営されています。
そこで地元の年配女性たちは、伝右衛門氏がどれほど立派な人物だったかと力説し、加えて好奇心を十分に満足させる離婚の成り行きが語られます。白蓮氏は美人だけど恥知らずのカタキとコメントされ、好奇心には刺激的なお話です。。

長崎街道・伊藤伝右衛門邸

伊藤伝右衛門邸
この建物は、筑豊の著名な炭鉱経営者であった伊藤伝右衛門の本邸として明治30年代後半に建造。大正初期、昭和初期に数度の増改築が行われました。
高い塀は旧長崎街道に面しており、福岡市天神町にあった別邸(通称銅御殿)から昭和初期に移築された長屋門や、伊藤商店の事務所が目を引きます。邸宅は南棟(正面)、北棟(庭側)、両者を結ぶ繋棟、西棟の家屋4棟と土蔵3棟からなり、池を排した広大な回遊式庭園を持つ近代和風建築です。
建築の見どころは和洋折衷の調和のとれた美しさ。当時先進的だった建築技術や、繊細で優美な装飾を随所に見ることができます。また、柳原燁子(白蓮)が伝右衛門の妻として約10年間を過ごしたゆかりの地であり、伝右衛門や白蓮に思いをはせる場でもあります。
筑豊における石炭産業の歴史と、これに関わった伝右衛門たちの人生を物語る貴重な遺産をごゆっくりご覧ください。
所在地:飯塚市幸袋300番地
長屋門
福岡市天神町(現在の福岡銀行本店付近)に、大正5年から同10年にかけて築造された伊藤家の別邸、通称銅御殿(あかがねごてん)の表門です。別邸は、昭和2年に漏電により焼失。焼け残った門だけがここに移築されました。
入母屋造、桟瓦葺、正面陵端に入母屋造の番所を設け、出格子の角は優しく曲線を描いています。東側に番人室、西側に土間の車庫と畳部屋があります。堂々たる武家屋敷門が邸宅の威厳と風格を物語っています。(案内板より)

地図

麻生大浦荘

 麻生の初代、太吉の長男、太右衛門の住宅として建築された「大浦荘」。柏の森の麻生本家を中心に建てられた麻生一族の住宅のひとつで、数寄を凝らした和風入母屋書院造りが美しい邸宅です。竣工についてははっきりとした記録が残っていないものの、残された資料、建物に残された銘などから、大正13(1924)年には完成していたと思われます。
現在、大浦荘は、麻生および麻生グループ各社が来客の接待や社内の会合などのために利用するクラブとなっており、非公開ですが、秋の紅葉の季節に限定公開されています。(麻生グループHP)