伊野天照皇大神宮

ここに鎮座せらるる伊野天照皇大神宮は、その縁起を訪ねるには草創はきわめて遠く、日本初期によると神功皇后香椎の宮に御幸臨の砌、中哀帝の9年3月(紀元200年)皇后小山田邑の斎宮に入り、自ら神主となり、天照大神の霊をお祀りになったと記されている。
降って陽成帝元慶元年(紀元887年)筑前天照神に授位のことが三代実録に見えている。 往昔、この宮は南古宮大神宮として祀られてあったが、旧記によれば武将の信仰厚く、北条時宗、菊池武重、織田信長、立花道雪、小早川隆景等は、各難局に際して奉幣し、あるいは社領を奉納するなど敬意を表したという。
次で、慶長年間、黒田氏福岡に入封後、代々藩主崇敬厚く、二代目藩主忠之は神主、工匠を伊勢に派遣して、伊勢神宮の構法を学ばせその秘法を授かった。かくて伊勢の例に倣い20年ごとに式年遷宮を行うこととなった。
「その神幸には、筑前一円の大庄屋、庄屋が参列し、一国を挙げて盛大無比の一大絵巻が繰り広げられたという。
二とに、六代藩主継高の時、天和3年(1683)にこの社地に社殿を移築してますます祭祀を手厚くして、その五穀成就祈祷札の如きは、藩内各村々に行き渡り、広く庶民に敬仰されたことは記録に詳らかである。(案内板)

拝殿

神殿

明治維新によって、藩主による祭祀は絶えることになりました。 以後においても式年遷宮祭には、、地元の氏子や崇敬者の奉賛により、旧例の通り施行されています。明治43年(1910)8月25日に古来、猪野の水取宮を合祀。明治45年(1912)久山町の古宮大神宮を合祀。現在も20年毎の式年遷宮が行われており、前回は平成19年(2007)、次回は2027年の予定です。

摂末社(せつまつしゃ)

社殿に向かって左側に並ぶ。
右から、恵比須神社・・・祭神・事代主命
貴船神社・・・祭神・高おみの神
御霊神社・・・祭神・素戔嗚尊
左端は 七所神社

遠見岳登山口

最初にここで天照大神を祭ったのは神功皇后と伝えられている。 神功皇后がこの裏の山に登って国見をしたことから、その山を遠見岳(神路(かみぢ)山)と呼ぶようになった。 猪野川は五十鈴川になぞらえられている。

地図

茅乃舎

すぐ横に流れる川は水がきれいで、蛍が飛びます。