福岡県・弥生時代

平塚川添遺跡は、約2000年前から約300年間、弥生時代中期から後期にかけて栄えた集落遺跡である。 台地の下で川に近い低地にあり、水の入った多重の環濠に囲まれているのが特徴である。 最盛期は期限3世紀ころと推定され、ムラからクニができるころ、中国史書にいう「邪馬台国」の時代の集落のほぼ弁体が地下に保存されている。 当時の集落の様子をよく残していることから、平成6年(1994年)に集落の主要部分約11ヘクタールが国の史跡に指定された。 この公園は集落の最盛期の様子が分かるように、集落の中心部分と水を入れた環濠を主に復元している。 公園内に植えられた樹木は、環濠の中から出土した花粉や樹葉などから当時のこの辺りに生えていたと考えられる木々である。 復元された建物等は、出土した柱跡と、ほかの遺跡の調査成果などに基づいて建てられている。(以上説明版より)

高床式倉庫

環濠集落

想像と平面図

ムラを造成する条件は、水が確保でき、自然災害が少なく、また外敵から守りやすい土地であることです。経験から生み出された知恵です。 ここ平塚川添遺跡は、筑後川支流の小石原川と佐田川にはさまれた沖積平野の先端、標高およそ20メートルの台地です。 堤防や堰を造成する技術がない時代に、台風や洪水、土砂崩れ等の危険を避けて、できるだけ安全で農作業に適する土地を選んでいることに感嘆します。
敷地内からは銅鏡、井戸、石棺、カメ棺、銅矛耳、銅矛鋳型のほか、工房跡地から管玉、ガラス管玉がが出土しています。

発掘当時の記録

1990年(平成2年)に平塚工業団地の造成中に発見され、当時の甘木市教育委員会と福岡県教育委員会により翌1991年(平成3年)8月から1993年(平成5年)5月まで発掘調査が進められた。遺構としては約17ヘクタールの範囲に多重の環濠、竪穴式住居跡約300軒、掘立柱建物跡約100軒が確認されている。 発掘調査終了後、甘木市では1996年(平成8年)から文化庁・福岡県の補助を受け遺跡を整備し、2001年(平成13年)に平塚川添遺跡公園として開園した。環濠、竪穴式住居・高床式倉庫などの当時の建物、古代植生などが復元設置されている。

周辺の遺跡群

平塚のほか、小田、小隈、中寒水など周辺地域に約30か所の遺跡がみられます。 赤い丸印は弥生後期の遺跡、緑の丸印は古墳時代の遺跡、緑色の前方後円墳が2か所。 中央の広い長方形枠は現在、ブリジストン甘木工場の敷地。建設は1973年。残念なことに、平塚遺跡の発掘は1990年です。(2016年6月)