福岡城本丸

本丸は藩主が政務を行うとともに、住居としても使われた「本丸御殿」があり、天守台へと続く福岡城の中心部です。 天守台への入口となる「鉄御門跡(くろがねごもんあと)」が残っていますが、要衝の門にふさわしく、敵の侵入を防ぐため幅が狭くなっています。高く積まれた石垣の上に櫓や塀が張り巡らされ、上から攻撃できるようになっていました。この鉄御門跡の先には、埋め門跡があり、やはり狭い門となっています。
定説では福岡城には天守閣がもともと建設されなかったとされていますが、近年では天守閣の存在をうかがわせる文章が発見され、「はじめは天守閣が建設されたが、後年取り壊されたのではないか」という説も説得力を増しており、「幻の福岡城天守閣」をめぐる議論が続けられています。(案内板)

本丸からの眺望

本丸跡から西公園方向を撮影。左手に福岡タワーやドームが見えます。西側に立つと大濠公園が見えます。

表御門について

二の丸から表御門跡を抜けると福岡城の中枢である本丸となります。
写真右・・・表御門は大正7年(1918)に、黒田家の菩提寺である崇福寺(博多区千代)に移され、現在まで同寺の山門として使用されています。
写真左・・・古写真にみる表御門

祈念櫓(写真右)

本丸の東北方向(鬼門)の角には、祈念櫓があります。これは鬼門封じの祈念をするために建立されたもので、棟札によると万延元年(1860)3月に起工、同年10月に竣工したものです。
この櫓は、大正7年(1918)に、陸軍省から払い下げられ、北九州市八幡東区の大正寺境内に移築、観音堂として使用されました。そして昭和58年、同寺より福岡城の旧位置に戻された経緯があります。大正初期の影響と推定される写真の祈念櫓を見ると、下見板張り、白漆喰の壁、軒先を方杖と軒桁で支える二層の櫓となっており、復元された現在の祈念櫓とは著しく外観が異なっており、別の櫓かと思われるほどですが、福岡城から大正寺に移築された際に大幅な改変を受けたと考えられています。1、2階の窓格子は白漆喰塗仕上げで当時の様子をとどめています。
福岡城の特徴として47ともいわれる多数の櫓があったことが挙げられますが、現存しているのは本櫓のほか、国指定史跡の多聞櫓や解体保存中の潮見櫓など数えるほどとなっています。 写真左類推される福岡城天守閣復元CG図(案内版)